事件を観て気づくこと

障害者の方々をターゲットにした、他に類を見ない凄惨な事件が起きてしまいましたね。朝テレビをつけたら、どの局にチャンネルを変えても同じニュースばかり…。

生まれついての精神異常というものはないと考えると、容疑者の中に本人も気づかぬうちにどれほどの怒りを抱え込んでしまったのか、想像を絶するものがあると思います。

一般的に想定されることは、本人が幼い頃から異常ともいえるほどに、本音を抑圧してきた可能性が高いということです。笑顔もその一つのカモフラージュなのかもしれません。

そして、自分のことを価値のない存在、役に立たない存在と思い込んだのでしょう。身近な人間に認めてもらえない激しい怒りとともに、強い自己否定感を隠し持っていたとも思うのです。

そのダメな自分を直視することができずに、役に立たない代表として、障害者の方々に自分の無価値観を投影したのだろうと想像できます。

そうやって、家族への怒りと自分への怒りをひた隠す術として、障害者の方々への怒りを募らせていったものと思われます。

だから、その怒りは激しい殺意となって、理性の一部を味方にしてしまうことができたのです。勿論、詳細を知らずに決めつけるつもりはありません。

ただ、こうした惨たらしい事件が起きるたびに、知ったかぶりのコメンテーターの人たちが、考えられない事件ですと言っているのを聴くと、なんだかなあという気持ちになるのです。

人の行動には必ず原因となるものがあるのです。そこに気づこうとする努力がなければ、多くの方々の命が奪われたことが全くの無駄になってしまうことになると感じるのです。

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