私たちにとって、最も手軽でいつでも手に入る喜びは、「快感」です。快感という喜びは、身体に特化したものであるため、身体を主体に生きている人ほど、快感を求める傾向が強くなるのです。
一方、マインドに特化した喜びのことを、「幸福」と呼ぶのです。誰もが幸福を求めているはずなのにも拘わらず、手に入らないとしたら、それはマインドは身体ほど単純ではないからです。
マインドは常に思考によって活動しているため、その思考がこれこそが幸福なのだと認めなければならないからです。身体には思考がないため、どんな理屈もなしに快感を味わえるのです。
マインドは、自分が欲しいと思っていたものが手に入れば、幸福度をアップすることができるため、幸福の基準は人によって異なるのですね。
この身体とマインドの喜びについては、誰もが例外なく求めて止まないものですが、この二つとは全く一線を画した別次元の喜びもあるのです。
それは、「至福」と呼ぶべき喜びであり、この喜びは身体のものでもマインドのものでもありません。それは、私たちの本質がありのままに持っている特性なのです。
したがって、どれほどマインドを駆使したところで、至福を手に入れることはできません。逆に、マインドの活動が非常に小さくなったときに、それは自ずとやってくるものなのです。
そして、当然そこには思考がないために、至福は永続的なものであり、またどんな理由も必要ないのです。至福には快感や幸福にあるような興奮もまったくありません。
それは沈黙の中、自分はもともとそれだったと気付くことなのです。決して外側から手に入れるようなものではないということですね。
あなたは三つの喜びのどれを求めているのでしょうか?快感であれば、今すぐにでも手に入るし、幸福であれば、心の癒しを進めていくことです。
そして、至福を求めるのでしたら、逆説的ですが求めることから離れていくことです。求めれば、エゴと思考を強化してしまうからですね。