あるがままを見ることの難しさ

誰もがこの世界をあるがままに見ていると思っているのですが、それがそうでもないのです。それは私たちの知覚が二つの部分から成り立っているからです。

それは、外部の情報を取り込む部分と、その生(なま)の情報を後処理する部分です。後処理を担当するのが思考であり、その思考によって生の情報は相当に歪められているのです。

思考は、物事を分裂せずにはいられないのです。それが思考の特徴だからです。分裂を他の言葉で表現すれば、分類するということになります。

そして分類するということは、個々の情報を無視して同じものとみなすということが含まれるのです。例えば、10代の人と20代の人に分類すれば、10代の人同士の差異を無視することになるのです。

この手法によって、概念というものが出来上がるわけです。リンゴという概念は、ミカンとの違いは明確にしてくれるのですが、個々のリンゴ同士の違いは無視されるのです。

目の前にリンゴが一つあれば、それをリンゴと認識すると同時に、それを手に持ったときの質感、口に入れたときの風味や香りまで、~に違いないという予想が立ち上がってくるのです。

物事を予想することは、生きる上で便利だし、それだけ安心を得ることも可能であるため、そうした能力を人類は身に着けてきたのですね。

けれどもその一方で、都合のいいように見ることばかりが優先されて、今その瞬間にあるがままを真っすぐに見つめることができなくなってしまったのです。

長年連れ添ったパートナーに魅力を感じなくなったり、恋人に対して新鮮さを感じなくなったとしたら、こうした思考による後処理のせいなのです。

なるべく思考を緩めて、あるものをただ見ることができるなら、すべてが新鮮で生き生き感じられるはずなのです。そのときには、必ず意識的な状態でいられることになるのです。

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