幸せには不幸が欠かせない

誰もがより幸せになりたいと願いつつ、自分の人生を生きているのです。けれども、しあわせを求めれば、必然的に不幸が必要になるということには気づいていません。

私たちが感じる幸福感というのは、常に比較の上でやってくるものだからです。したがって、不幸の要素を一つも知らずして、幸福感を味わうことは不可能なことなのです。

完璧に健康な状態しか知らない人は、決して健康を求めないばかりか、不健康を知らないために、健康を実感することもできないのです。

誰もが不自由よりも自由を好むし、自由を希求してやまないのですが、それは不自由さを嫌というほど経験して知っているからなのです。

不自由を知らなければ、自由のことも実感することはできないのです。二元性の世界とはそういうものなのです。これが、私たちが暮らしている現実という物語の特徴です。

身体の快感を求めるなら、必ず不快感が必要となるのです。ビールをできるだけ美味しく飲みたいと思うなら、100度のサウナにでも入って、暑さを我慢すればそれだけ喉越しの快感を得ることができますね。

ロミオとジュリエットのドラマに惹きつけられるのは、彼らが逢ってはいけないと制限されるために、より逢いたいという気持ちが強くなるからです。

二人がいつでも一緒にいられるのなら、そこに自由さを感じることはできなくなってしまうし、感動もなくなってしまうはずなのです。

欲しいものを手に入れて、幸せだと思っても、すぐにその感覚がマヒしてしまうのは、手にしてなかったときとの比較が薄れていってしまうからなのです。

今自分はしあわせだと感じるなら、あなたの中にまだ不幸の因子が残っているからに違いありません。それ抜きでは、幸福感はあり得ないからです。

幸せを求めないでいられるなら、一緒に不幸も必要なくなるのです。そしてそこに在るのは、至福と呼ばれるものです。これだけは何かとの比較ではない、ただそうあるもの、それこそが非二元ということなのです。

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