セラピストになって自分が大きく変化したとしたら、それは他人を説得しようとはしなくなったということ。それはあきらめたということではなく、ただ説得させることに意味がなくなったということです。
それまでの人生では、自分の周りにいる誰であれ、自分の考え、自分の正しさ、自分の思い、そういったもので相手のマインドを占拠したかったのだと思うのです。
それが、ある種の自分の存在証明のようなものだと感じていたのでしょう。それが、他人のことを考えることが極端に減ったと同時に、ほとんどなくなってしまったのです。
セッションで、できるだけ深くクライアントさんの人生の中に入っていくことによって、その逆にセッション以外のプライベートでは、まったく他人に関知しなくなったのです。
意識が自分に向く時間が増えてくると、自然と他人への働きかけというものが消えていくのです。その結果、他人を説得するという必要がなくなってしまったのですね。
セッションにおいても、それははっきりと自覚することができます。自分が伝えたいと感じていることを話したとしても、クライアントさんの反応が期待通りでなくても、構わなくなったのです。
説得したいという欲望が消えてしまったために、相手の反応に一喜一憂しないでいられるようになったのですね。自分の正しさも消滅してしまえば、当然そうなるのです。
論理的な世界においては、どうしても自分の正しさが残ってしまうのですが、物語から抜けた感覚においては、論理も正しさも意味をなさないのです。
プライベートな時間に物語の中に埋没してしまえば、また相手を説得したいというエゴが顕われてきますが、その瞬間もそうした物語を同時に見ていられればいいのです。
意識的であること以上に大切なことはないとうことですね!