無邪気と無防備は一つもの

無邪気という言葉と、無防備という言葉がありますが、これらはどちらもほとんど同じ心の在り様を顕しています。片方は、邪気がないというエネルギーから見た表現であり、もう一方は防衛という観点からの言葉です。

無邪気な状態は、必ず無防備でもあるし、無防備な状態は必ず無邪気になるはずなのです。生まれてから2年くらいは、誰でもこの状態で生きています。

なぜなら、まだエゴが作り出されていないからです。守るべき自分がいないのなら、無防備でいるほかないからですね。エゴが生み出されると、それが一変してしまうのです。

初めのうちは、エゴの自分になったり、エゴがいない元のままの自分に戻ったりを繰り返しながら、次第次第にエゴが定着して消えなくなっていくのです。

そうした曖昧模糊とした時期に、母親から安心させてもらえないような環境で過ごすことになると、子供はあっという間に無邪気さを抑圧するようになって、自己防衛を強烈に運用し始めるのです。

そうなったら、子供とはいえ、マインドの中に無邪気さを見つけることが難しくなってしまうこともあり得るのです。要するに、まだ子供なのに妙に大人びた感じがする子供になるのです。

無邪気さを精一杯使って生きるべき大切な時期に、防衛を強化してしまうことによって、そのしわ寄せが人生の後の方でやってくるのです。

それはとても生きづらいと本人が感じるような人生になってしまうかもしれません。もしも今自分には無邪気さがない気がすると感じるなら、こうしたことを疑ってみることです。

そして、しっかりと腰を据えて、マインドの癒しを進めていく必要があるということですね。

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