このブログの題名というかテーマは、「癒しから覚醒へ」というものなのですが、改めてこの意味を書いてみたいと思います。
セラピストの仕事を始めた頃は、心を癒していくということが唯一人が幸せになっていく方法だと思っていたのです。だからこそ、そうしたことに関われることは嬉しいことだと感じてもいたのです。
ところがどっこい、癒しを進めていくと実は二つのことに気づいていくことになるのです。一つは、癒した分だけ楽になって、心が軽くなっていくということ。
自分で勝手に重荷を背負って生きて来た人が、それを肩から降ろして身一つで生きていくことがどれほど清々しいものかを実感できるようになるのですから、それは素晴らしいことですね。
けれども、もう一方で心の奥深くには依然として満ち足りないという漠然とした不足感が残っているということにも気づいてしまうのです。
というより、癒せば癒すほど、その不満感はより明確になっていくのですから、これは本当に困ったことなのです。そのときに、ようやく気づくのです。
心の癒しだけでは、どうしようもないのだということを…。癒しを続けていった先にあるもの、それは目に見える苦しみは消えていくのに、本質的な苦悩がよりはっきりしてくるということ。
結局、人は自分の本質に気づいていく以外には救われないのだと気づいたのです。このことを、セッションにいらしたクライアントさんに、いきなりお話ししても仕方のないことです。
ですので、まずは目の前にある苦悩を癒していくことから始めることがやはり必要なのです。そのためのセッションを行うのがセラピストとしての仕事です。
そして、ある程度の癒しが進んだ段階においては、自己を探究することへと意識を向けていくこと、瞑想によって無自己性に気づいていくことこそが、真の癒しなのです。
だから、「癒しから覚醒へ」という題名にしたのです。充分に癒しを進めていく中で、瞑想や自己想起のような方向へと話しが変わっていくときに、ついてきていただけるかどうかが最大の関心事なのです。