座禅はエゴの敵

毎日忙しく過ごしている人にとって、たまの休暇に何もせずにいる時間がとれるなら、天国のように感じてしまうかもしれませんね。

普段から寝不足が続いている人であれば、一度時間を気にせずに泥のようにぐっすり眠ることができたら、どんなにいいだろうと思うはずです。

けれどもその一方で、何もやることがなくなってしまうと、それはそれで退屈し出すのです。そして本当に何もせずにいるなら、それは大きな苦痛に感じるようになるのです。

「私」というエゴは、何かをせずにはいられない習性を持っているのです。重い病気で何もすることができないならともかく、そうでなければ何もしないでいることは拷問なのです。

そんな私たちにとって、一定時間ごとにお腹が空くのはとても好都合なのです。なぜなら、食事をするという作業を必然的にすることになるのですから。

朝になれば起きて、着替えて、支度をして仕事に出かけ、夜になれば、寝る準備をして、睡眠の中へと入っていくのですから、一日のサイクルをこなして行くだけで、やることはあるのです。

時々部屋の中にある時計を見るのは、次にやることをどこかで想定している証拠ですね。もしも、何もせずにいるなら、時計は必要なくなってしまいます。

身体を動かすということをしなくとも、人間はマインドを使って考えるという作業をすることで、「私」にとっての退屈という拷問から抜けることができるのです。

だから思考は、「私」というエゴの宝物なのです。身体も動かさず、思考も動かさずにいることができるなら、そのときにはエゴは危機的状態になるはずです。

それが禅で言うところの座禅なのでしょうね。何もせずにいるなら、いずれはエゴは消えていくことになるはずです。

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