エゴは常により完全なものを求めているのです。不完全さを容認することをせずに、より強くより高く完璧であることで安心を得ようとするのです。
完全とは存在しないもの、今この瞬間には決してあり得ないもの。それはつまり、完全とは未来を意味しているのですね。
完全であろうとすることは、エゴの神経症的な面を顕しています。その一方で、全一であろうとすることは可能なことなのです。
そして全一とは今この瞬間のこと。いつでも私たちは、全一であることができるのです。防衛から離れて無防備になり、他人の評価を気にすることなく生きるのです。
幼い子供は、笑うときも泣くときも、怒るときも全身全霊ですることができます。それが無防備さの姿であり、それこそが全一であることなのです。
マインドが活躍していれば、必ずや分離した一部でしか生きることができません。なぜなら、マインド自体が分裂しているものだからです。
完全を求めるのもマインドだし、全一を不可能にするのもマインドだということです。マインドから離れることができるなら、完全を求めずに全一に生きることになるのです。