どんな素晴らしい夢でも、あるいはどれほどひどい悪夢であっても、目覚めてしまえば終わってしまいます。この現実という夢も同じです。
一生は長いと思っているのは間違いで、すぐに終わりを迎えるときがやってきます。最近特にそれを強く感じるようになってきたのは、年齢のせいかもしれません。
若い時に比べて、今の方が有利だなと思うのは、死は「いずれはやってくるけれど今は縁がないもの」という間違った思い込みが消えてきた点なのです。
死を身近に感じるようになると、その分だけ生きていることが当り前ではなくなってくるのです。肉体のあるうちに、どれだけ個人という妄想から離れることができるかが、重要なことになってきたのです。
個人としての生は、とても魅力的なのですが、その習性として都合のいいことだけを求めようとするために、苦悩してしまうのです。
快を求めれば不快が必ずやって来るし、幸せを求めれば不幸も必ずついてくるのですが、それをどうしても認めたくないのですね。
何も求めなければ、どちらもやってくることはなくなるのですが、それは個人としては余りにも魅力的な人生ではないように思えるのです。
個人としての自分は、主体としての自負があって、ある程度は人生をコントロールできると信じているのですが、ようやくそれがどれほど深い妄想かということにも気づいてきました。
そうなると、魅力的な人生からは遠ざかっていく分、あらゆる刺激から離れて行く分、まったく異次元の静寂に包まれる感覚が増えてくるのです。
それは魅惑的なものではないのですが、時空の感覚が消えて行く摩訶不思議な感覚でもあるのです。こうなると、言葉がまったく役立たずになりますね。