私たちは自分が持っているあらゆる欲望が実現した時にこそ、本当に心が満たされるだろうと信じて疑わないのです。
そしてあらゆる欲望が満たされてしまうことは決してないので、その幻想から抜け出すことができずにいるというわけです。
けれどもそのおかげで、いつかは満たされて安心することができるはずだという希望を持ち続けることもできるのです。
その一方で、どこかで気づいているのですが、真に満たされるためには、皮肉なことにあらゆる欲望が消えて無くなる必要があるということです。
欲望というのは、あれが欲しいこれが実現したらいいのにといった、一つひとつの個別のモノではなく、たった一つの欠乏感からやってくるのです。
その欠乏感は本当は対象など何でもいいのです。とにかく何かを求め続けること、そのこと自体が欠乏感を存続させることができるからです。
私たちは欠乏感から解放されたくて、欲望を作って何かを求め続けるのですが、残念なことにそれ自体が自分を欠乏感の虜にさせてしまうのです。
あらゆる欲望の裏にある欠乏感はどこからやってくるのかを見ること。それが個人としての分離感からくることを深く理解することです。
全体性に目覚めるまでは、欠乏感もそれからくるすべての欲望も決して消えることはないのですから。全体性はそれ自体で満ち足りているのです。