この世界には私とあなた、あるいは私と誰かという区別があって、それを主体と客体などということもできますね。
自分と自分以外の誰かという分け方があると思えるのは、自分のことを個人として見ているからなのです。つまり局所的な存在としての主体です。
この見方がすべての勘違いを作り出す大元なのです。自分が一人称としての主体であることは疑いようのない事実ですが、個人という局所的存在だという考えが間違いなのです。
自分という主体は全体性だと気づくことができるなら、二人称や三人称といった客体は決して存在しないということにも気づくはず。
つまり真実はと言えば、主体しか実在できないということ。一人称としての主体がすべての一切合財なのです。
「私」というエゴが消えた瞬間に、局所的存在だった自己が全体へと広がるか、あるいは全体が自己の中へと流れ込んでくるのです。
この感覚が一瞬でも分かれば、そこから何かが花開いて行くのだろうと思うのです。今それを知っている人も、これから知る人も違いはありません。
誰もがいずれはそうした気づきに出会うことになっているのですから。