「考える葦」である自己を見ること

かつて誰かが、「人間は考える葦だ。」ということを言ったらしいですね。人間はか弱い葦のようなものだけれど、思考することができる偉大な存在だという意味でしょうか。

確かにこれほど緻密に思考を巡らして物事を考えぬく存在は、少なくとも地球上には他にいないわけですね。とにかく、思考、思考、思考で生きているのです。

けれどもその代償はとてつもなく大きなものです。残念ながらそれは喜びではなくて、苦悩なのです。考えることで他の動物を寄せ付けないくらいに大きな苦しみを持つことになったのです。

ただし、間違ってはいけないのは、思考そのものが悪いわけではありません。思考に乗っ取られていることこそが問題なのです。

思考は非常に便利なツールに過ぎません。思考によって、科学が発展したり、より便利な生活を手に入れることができたのも事実です。

その思考の一番奥の部分に、「私」がいるという思考を作ってしまったことが、苦悩の原因なのです。それを排除した状態であれば、いくら思考を使っても何の問題もないのです。

無防備でいられるからですね。「私」がいるという思考が根っこにある限りは、思考を自己防衛のために使ってしまうから、人生が複雑怪奇になっていくということです。

「考える葦」である自己を絶えず見ていることができれば、どんな問題も消えていくでしょうね。

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