一口に「自分」と言っても、その自分にじっくり意識を向けていると分かるのですが、様々なレベルの自分がいるということに気づくことができます。
最も表層にいて、他人に直接見てもらえる自分は、たとえば自分の気持ちや意見を周囲に表現している時の自分です。
この自分はよく知っている自分の一部ですが、あまり意識的だとは言えない感じがします。私たちはとかく表面的であることと意識的であることが同じだと勘違いしがちです。
奥にあって隠れている方が、無意識的だろうと思うわけです。けれども、この他人と直接相対する自分は私の中では無意識的な気がします。
そして少し内側に入って行くと、他人からはあまり見えない内省的な自分がいます。黙っている時、あるいは独りでいて気分を感じていたり、思考に絡め取られていたり。
この自分もやっぱり無意識的なことが多いのです。そして更に内側を覗き込んで行くと、そこでようやく意識的な自分に出会うのです。
その自分は、今この瞬間にだけいようと心がけている自分であり、より深い部分にはどんな自分がいるのだろうと探索しています。
マインドが静まっているときには、もっと奥の自分がいることにも気づけるのですが、ここからは大きさが不明な感じがするのです。
そしてそれ自体が自分を覗き込んでいる自分ではないかと疑っているのです。そうやってこの辺まできて、どうも自分が曖昧になってくるのです。
この先は言葉では表現できないところですが、今この瞬間にだけいるのだろうということだけが何となくしっくりくる表現です。
この何層にも続く自分を深い井戸のように掘り下げて行くことを繰り返していると、気分の悪さやなんだかモヤモヤしていた気持ちが、自然と晴れて行くことに気づけます。
ぜひ試して見て欲しいと思います。