肯定的な絶望感

「何もせず、静かに坐っていると、春が来て、草はひとりでに生える」という禅の言葉があるように、すべてはひとりでに起こるのです。

真実に近づこうとするあらゆる努力は、それがまったく効果がなかったと深く理解するためにだけ必要なことなのです。

同様にして真実への探求は、それが真実への道を逆に塞いでしまうことになると気づくためにだけ必要なことなのです。

こうしたことは逆説的で、にわかには受け入れ難い感じがするのですが、じっくりと噛み締めることで理解することができます。

どれほど探求したところで終わりは決してやってこないと、身をもって経験するまでは、私はやはり探求を続けるだろうと思うのです。

それはきっと探求することが楽しくて、非常に興味深いことだからできることなのでしょうね。続けて行った先に、自分の中でひとりでに探究が終わるときがくるのでしょう。

そのときには、きっと肯定的な絶望感が待っていてくれるような気がします。

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