罪悪感を伴わない自由

osho 曰く、

『あなたが自由のために苦しむとき
その苦しみはいい

あなたが束縛のせいで快適だったら
その快適さはよくない』

たとえば、親兄弟や大切な人が望むようにできないとき、自分の気持ちを優先しようとすれば、そこには苦しみがやってきます。

罪悪感という苦しみです。相手の期待に沿うことができなければ、人は必ず罪悪感を感じることになるのです。

とことん自由に生きようとすれば、このようにして罪悪感という苦しみがセットとしてやってくることが多くなるのです。

でもその苦しみには価値があると言っているのですね。

一方で、自分の本音を押し殺して、相手の気持ちを優先するなら、安心という快適さを手に入れることができるのですが、その快適さには価値がないということです。

自由でいるというのは、人間として最も価値あることですが勇気も必要だということですね。そして、それを超えた真実の自由とは、自分自身からの自由です。

その自由には、罪悪感を含めてどんな苦しみもやってくることはなくなるでしょう。それが完全なる明け渡しということです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です