学生の頃、数学で証明問題というのがありましたね。ただ計算して答えを出すのではなくて、すでに答えは分かっていて、それが正しいことを証明するという、あれです。
証明とは、つまり正しさを保証するということを意味します。大学の何かの授業で、円の外にある一点と内側にある一点を結ぶとき、必ず円周のどこかを通ることを証明せよという問題がありました。
そんなことは、幼稚園児でも分かることなのに、なぜそれを証明しないといけないのかということと、どう証明すればいいのかに興味を持った記憶があります。
実際にどのような証明方法だったのかは忘れたのですが、覚えていないということは大してズシンとくるものがなかったのでしょう。
世の中には、「なるほど」と唸らせるような証明も確かにあるのですが、所詮は証明とは思考の中でのみ通用することです。
それは証明する「正しさ」自体が思考の中の産物でしかないからです。だから難解な証明問題というのは面白いパズルのようなものなのですね。
正しさに価値がないと気づくようになってから、どんな素晴らしい証明であろうと同様に価値を感じなくなったのです。
人類がまだ解けていない数学の証明問題はいろいろあるらしいですが、万が一それを証明してノーベル賞を取ったとしても、その物語も瞑想には敵わないのですね。