昨日のブログで、自分の幸せを求めることを放棄することは理に叶っている、自分を幸せにするどんな義務も責任も果たす必要はない、ということを書きました。
真剣に読んでいただいた方の中には、違和感を感じたという人もいるかもしれませんね。なぜなら、いつもとちょっと違うことを言っているからです。
気をつけなければいけないのは、何らかの理由で自己犠牲を自分に強いてきた人が、この記事を鵜呑みにしてはいけないということです。
まずはしっかり自己表現をして、立派なエゴとして生きることができなければならないのです。自分本位の生き方が身についている必要があるのです。
そうでなければ、自己犠牲のままに幸せを放棄するとしたら、それこそ自己犠牲を継続させてしまう可能性があるからです。
十分に我がままに自由に生きて、そしてそれでもこの生き方では決して満たされないと知るに至った時にこそ、幸せを放棄するという地点に辿り着くのです。
自分のために生きてきたという明確な自覚なしに、自分のために生きることを放棄するなどというのはとても危険なことです。
そういう意味では紛らわしい内容を書いてしまいましたが、このブログは自分が書きたいことを書いているので、読まれる場合には気をつけてくださいね。