昨日のブログの内容への補足ですが、あの中1の時の担任の先生が書いた「無」の文字ですが、書道のできる友人にこんな感じの書体なんだけど?と聞いてみたのです。
すると、それは隷書じゃない?と教えてもらったので、ネットで検索してみたらありました。隷書体というのがあるのですね。
そっくりではないかもしれませんが、こんな感じだったような。もう少し崩してあったかもしれません。
あの担任、取っ付きづらい神経質な表情をした技術科の先生だったのですが、今思えばなかなかオツな計らいをしてくれていたかもしれないなと。
イメージの中で、中1の自分がホームルームか何かの時に、先生に向かって「あの無という漢字にはどんな意味が込められてるんですか?」と聞いてみたのです。
すると先生はしばらく考えた後、「どんな意味が込められているかなどを考えないでいることだね。」と言うのです。
なるほど、無とは?とやった瞬間に無から離れてしまうわけです。ジーっと無の文字を見つめて、ゲシュタルト崩壊がやってきてもそのままにしておく。
その時、無という漢字すら消えていき、どんな疑問も無によって消滅していってしまうということですね。やはり、無は最強です。
技術の教師、覚えてる。
私はその先生のゴツゴツした顔の似顔絵を描いて、みんなに見せてた。
頬がこけ落ちたあの顔を思い出しました。技術科の先生だったので、女子はあの担任の授業を受けたことがないってことですね。