「案ずるより産むが易し」と「これもまた過ぎ去るだろう」

明日仮住まいのアパートのネットを撤去するため、新居の方に移り住む運びとなったのですが、いやはや色々ありました。

新居のネットとテレビの設置が、ようやく今日終わってあれこれ考えてどうなるかなと思っていたのです。

ところが、工事の人が来てみると、こちらがあれこれ言わなくても非常にスムーズに仕事を終えてくれたのです。

これこそまさに、「案ずるより産むが易し」というやつですね。なまじ少しだけネットのことが分かる分、気を揉んでしまうのです。

100%おまかせ状態であれば、なんてことはなかったと思うのですが、色々質問をしたところほぼ答えてもらえたことがありがたかったです。

4台あるテレビそれぞれを有線でネット接続して、一方のWi-Fiは一階と二階をメッシュWi-Fiというやつで接続することで、快適なネット環境となったはず。

残るは、ブロック塀へのタイル貼りと、クルマの充電ケーブルの収納ボックスの設置。この辺りは、お任せになるので問題なし。

今回の家の建て直しにまつわるすべての作業が、終わりを迎えようとしています。あと少し、残るは少しの引越し作業と不用品の廃棄作業。

「これもまた過ぎ去るだろう」が今回の私の中でのスローガンでしたね。これ、結構使えると思いますので、皆さんも是非活用してください。

人生に目標を持てなくても心配いらない

osho は、よく「生は無目的だ」というようなことを言ってくれます。その言葉にどれだけ助けられたことか。

子供の頃ばかりではなく、大人になってもずっと一貫して目的をはっきり持てと言われ続けてきたのですから。

目標設定を明確にして、それに向かって前進していくことこそが正しい人の道だとばかりに言われるわけです。

どう頑張っても目標など一つもなかった私にとっては、なかなかしんどいものがありました。勿論もうこの年齢になったら、そんなことは誰にも言われなくなりましたけどね。

上っ面の目標をでっち上げることくらいはできるものの、そんなものは自分にとっては本当はどうでもいいものだし。

人によっては、目的を持たない人物とは一緒に仕事をするな、と断言している人もいますが、その気持ちは分からなくはありません。

要するに、しっかり目標設定している人ほど、より社会的な人間になるので、社会では優遇されることになるのですね。

そしてその逆も真なりなのです。私のように人生に目的、目標を持てないという自覚がある人に是非とも伝えたい。

そのことで卑屈になる必要はないということ。目的、目標はあくまでも未来のもの、それは自我を活性化させるものなのです。

自我のこしらえた社会には迎合できるけれど、そこに興味を持てない人にとっては未来よりも身近な今日を楽しむ方が合っていると思いますね。

ーーーーーーーーーーーーー

こちらの動画も是非ご視聴ください。

いつまでもできると思うな、家具の組み立て作業

家内が自分の部屋に置くこぢんまりとした机を買ったので、その組み立てを手伝って欲しいと言われ、勿論やりましょうと。

さて、取り掛かろうとしたら、全行程が25くらいあるうちの、初っ端の第一番目の行程だけを一人でやったらしく、少しだけ進んでいたのです。

見てみると、板と板を繋ぎ合わせる木ダボが中途半端にはまっている状態のまま接着剤を流し込んでしまっているのです。

これじゃ先へ進めないことを説明して、しばしどうしたものかと思案して、これはペンチで一回強引に外してしまう必要があるなと。

アパートに戻って、ペンチを取って来てもらう間に作り方を読んでおくからと言ったら、ペンチってニッパみたいな奴?と言われ‥。

返答に困ったものの、結局は工具箱ごと持ってきてもらい、ペンチで無事ダボのいくつかを抜くことができたのです。

説明書には二人で60分程度で完成すると書いてあったのですが、もうすでにこの時点で30分くらいかかってしまっている。

ただもうあとは淡々と作業を進めていって、もうそろそろ完成するという時に、どうやら足腰の負担がかなりのところに来てしまったようで。

一つの工程を終えるたびに休憩を挟みつつ、身体さんを騙しつつ進めていったので、結局完成までに100分ほどかかってしまいました。

高齢者が二人で組み立て作業をするのはどうなのかなと。これからは、躊躇することなく業者さんに頼むことにしようと決めたのが、今日の最大の成果でしたね。

他人に迷惑をかけても、あなたの存在価値は変わらない

私たちが持っている「自己否定」の理由には、それこそ沢山のネタがあるのですが、その中でもかなり重症のものとして挙げられるのは、「自分は人に迷惑ばかりかけてしまう」というものがあります。

こうした根深い思い込みは、当然のことですが幼い頃の親子関係に起因するものがほとんどだと言えます。

幼い頃というのは、非常に視野が狭いですから、目の前で親が楽しそうではないとか、悲しそうだとか、幸せそうではないと知ると、その原因を自分にむけてしまうのです。

もうそれだけで、自分が迷惑をかけている張本人だと信じこんでしまうのです。親が怒れば、それも自分のせい。

親のネガティブな感情はすべて、自分が悪いんだとして早々に結論づけてしまうのです。経験が少なくて、視野が狭い状態ではそうなりやすいのです。

この状態になってしまうと、一人で立て直すのは大変なことです。その逆に、自分が迷惑をかけているという思い込みの中で生きるようになってしまうのです。

本当に迷惑をかけているのかどうかを相手に確認することもなく。実際、相手が迷惑を被ったと言ったとしても、それは本質的にはその人に起因することなのです。

そしてこの自己否定は、自分の価値を決定的に下げてしまう効果があるのです。もちろん、そのすべてはインチキでしかないのですが。

そうして、自己価値をなんとかして上げようとして、正しい自分を最優先させるのです。正しいことで、できるだけ人から否定的に見られないようにするわけです。

こうなると、悪循環はもうとどまることを知りません。一度立ち止まって、どこから間違った信念をベースに生きてきたのかを、振り返って見てみることが大切ですね。

ーーーーーーーーーーーーー

こちらの動画もぜひご視聴ください。

人格にも道徳にも一切の興味がない

以下のoshoの気持ち良い文章を味わってみてください。

『私は人格には全く興味がない
道徳にもいっさい興味がない
私は人々に不道徳になるようにと
言っているわけではない
私は人々に意識的になるように
意識を生み出すようにと言っている
そしてそれこそ瞑想の真意だ 』

まさに我が意を得たりと言ったら、とてもおこがましいのですが、でもそのくらいに激しく同意しますという感じなのです。

元々父親譲りなのかもしれませんが、正直なところ、個人個人に対してそれほど特別な興味や関心というものが薄いのです。

つまりは、人格という自我が作り上げたその人の社会的顔には殆ど興味を持ったことがないのです。

人とのご縁を大切にしなさいという言葉がありますが、確かにそれはそうなのだろうと思ってみても、現実はご縁がすぐに切れてしまう。

そして、道徳も同じ。興味がないというよりも、もう少し積極的な意味合いでどうでもいいという感覚を持っているのです。

やっぱり大切なことは、いかに意識的であり続けられるか?もうこの一点しかないというところに行き着くのです。

自分のこうした傾向が嫌いなわけではないし、今更変えていけるような物でもないだろうし、今回はこういう人生なのだろうなと。

視点が高くなれば、新たなゲシュタルトが作られる

どんな漢字でもいいので、それをじっと見つめていると、そのうちにそれが漢字とは思えないようになって、読めなくなってしまう現象があります。

それをゲシュタルト崩壊と呼びます。皆さんも、大抵は経験したことがあると思います。ゲシュタルトが崩壊するとはどういうことか?

要するに、私たちは漢字一文字を読む時に、部分部分を見てそれをまとめて一つの漢字と認識するわけではないのです。

部分部分から全く異なる全体としてのなんらかの意味を生み出して、それを一つの漢字として認識しているのですが、それをゲシュタルトというのです。

そのゲシュタルトが崩壊してしまうから、その漢字が漢字としての意味を失ってしまって、読めなくなるというわけです。

漢字に限らず、私たちは沢山のゲシュタルトを無意識的に作り出して、その認識の上で生活をしているのです。

視点が高くなると、それまでバラバラにしか見えていなかったものが、一気に全体として意味を持つようになることがあります。

ということは、視点が高くなることで新たなゲシュタルトが生み出されるということです。そのゲシュタルトによって、新たな気づきがやってくるのです。

そう考えてみると、自分の波動が上がって次元さえも上がっていくなら、当然のこと視点が高くなり、新たなゲシュタルトが作られて気づきもやってくるようになるのですね。

より高次の存在が、私たち地球人よりも多くのゲシュタルトを持っていると考えれば、我々には考えも及ばない気づきを持っていても不思議ではないですね。

ーーーーーーーーーーーーー

こちらの動画もぜひご視聴ください。

事務処理が苦手過ぎる

もうそろそろ家にまつわる様々な処理から解放されるかなと思っていた矢先、東京都から分厚い封筒が届いていて、不吉な予感。

予感は的中していて、8月5日までに家屋調査確認票なるものを提出すべしと。平面図、立面図、矩計図、仕様書、建築確認申請書、床暖房設備図、空調設備図等々の提出だと。

今の今までハウスメーカーさんにお任せでやってきたので、急に言われてもどれがどれだか皆目分からない。

家を建てるってこんなにしんどい思いをしなければならないのか。もう少し経済的に余裕があれば、絶対にマンションの一択だなと。

おまけに、長期優良住宅の「固定資産減税額申請書」を作って、都税事務所まで行って提出してこなければならない。

ちなみにこれは、向こう5年間は固定資産税が半額に減額されるというありがたいサービスなんだけど、手続きがめんどくさい。

なんでこれほどまでに事務処理が苦手なのかが分からない。初めて確定申告したときなどは、気が遠くなりかけましたから。

確定申告はさすがに繰り返しやってきたので、もう慣れっこになったのですが、家の書類など一生に一度きりだろうから、慣れるなんてことはないし。

もうしばらくは、業者やら書類などの対応に追われる日々が続くのかなと、ちょっと悲しくなったりして。

そしていつものように、「これもまた過ぎ去るだろう…」で凌ぐことに。そして、あとは気持ちよく瞑想をして寝るだけ。

振り回されたとしても、意識的であることは忘れない

今日は日頃、何事もなく暮らしている私にとっては、色々な問題が起きてはそれを解決するというループを繰り返す1日でした。

朝早く、ハワイの会計士さんからのメールに起こされたのです。そこには、還付金を受け取るための更なる面倒な作業が書いてありました。

なんと、アメリカの納税者番号のようなものが、知らぬ間に失効していたらしく、それを新たに取得しなければお金は送らんと。

え?これまで何年にも渡って税金だけは取ってきたのに、戻すことになったら納税者番号が必須ですっておかしくないですか?

もう2度と渡航することはないだろうと思ってパスポートも失効していたので、まずはそれを取得するための申請をしなければ。

そう考えているうちに、家内が家の玄関ドアが開かないと。新築の家の玄関の不具合なんて、結構危険じゃないかと。

結果、電池切れであることが判明したので、ネジ回しとキリのようなものを使って無事新品の電池に交換して解決。

そうこうしているうちに、今日の花形であるテレビの壁掛け設置の下調べの業者さんが来て、これじゃあ設置できませんと。

急いで量販店に取付金具を取り替えてもらいに行ったら、その寸法では合うものがないですよと言われ。

ただ、粘り強く待っていたらようやく一種類のみ使える金具が見つかって、メーカーの保証も取り付けて、事なきを得たのです。

さて、オンラインでパスポートの申請ができると知って、あれこれ作業をしてこれで最後となった時に、あなたの所在地ではまだサポートされていませんと。いい加減にしてくれよと。

それで急きょ、近くの量販店の前にある3分間写真で撮影をし、また近くのコンビニで戸籍謄本を取得して、いざ池袋のパスポートセンターへ。

申請を受理されるまでにまず待たされ、ようやく番号を呼ばれて窓口へ行ったら、その戸籍謄本じゃダメだよと。

急いでアルパ一階にあるプリンスホテルの中にあるファミリーマートで、正しい戸籍謄本を取得して、結果として申請を受理されたのでした。

自分にとっては、なんとも忙しい一日だったのですが、意識的であることだけは忘れないようにしていられたのが唯一の救いですね。

ーーーーーーーーーーーーー

こちらの動画もぜひご視聴ください。

私たちはフィクションの中で生きている

私たちのこの宇宙が、どれほど広大な物であれ結局、宇宙空間に存在するのは天体ばかりですね。

なぜかというと、単純な物理法則がベースにあるからです。例えば、太陽と同じくらい巨大な象が宇宙空間にプカプカ浮いているなんてことはないわけです。

なぜなら、物理法則がそんなことは不可能だと導くからです。その結果、宇宙には天体と呼ばられる物以外はないのです。

法則というのは、あらゆる物事をシンプルにしてしまうのです。複雑にする法則なんて聞いたことがありません。

最も宇宙でシンプルだなと思わされるのは、宇宙には素粒子しかないということ。その素粒子だけで、この世界が出来上がっているのですから、これほどシンプルなことはないですね。

素粒子というのは、これ以上分割できないような極小の粒です。その粒だけで、この宇宙が成り立っているのです。

そう、太陽も地球も、私たち人間も象さんもスイカもタンポポもすべてです。見るスケールを小さくしていけば、そういう世界になっているのです。

それ以外、どんな違いもありません。人間とスイカを分け隔てるものは何もないということですね。水や空気や石ころだって、私たちと何の違いもないのです。

そこにはどんなドラマも意味も価値も何もありません。あると思えるのは、私たちが勝手に作り出した妄想、フィクションです。

すべては作りものだと見抜くことができれば、そこには清々しい生の本質が見えてくるのですね。

結果よければすべて良し

先日食事をしているときに、歯の被せ物が取れてしまい、そこをかばって物を噛んでいたら今度は反対方向の差し歯がグラグラし出してしまい、ややピンチ。

いつもの歯医者さんに連絡したところ、2週間くらい先まで予約が取れないと、とてもつれない返事をもらったのです。

しばらく我慢していたのですが、もう差し歯のグラグラが限界になってきたので、どの歯医者さんでもいいから治してもらおうと。

友人に調べてもらったら、なんと事務所の隣の量販店の中にあったので、今日その歯医者さんに行って治してもらってきたのです。

そこでちょっとした衝撃体験?をしたのですが、いつもの歯医者さんと違って治療するところが8席以上もあるような大きなスタジオのような空間。

常にガヤガヤと誰かの話し声が聞こえているような、まるで工場のような場所なのです。こんな歯医者さんの大型店舗は初めてです。

そしてもう一つ驚いたのが、処置してくれた歯科医の女性が若くてものすごく優しいのです。なんだか自分が幼稚園児にでもなった感じ。

いちいち「ごめんなさい!」と言いながら、処置をしていくのですがそれがワザとらしくないので、とても安心させてもらえるのです。

これまで随分とあちこちの歯医者さんを渡り歩いてきましたが、今回の歯科医さんは別格かもしれません。

歯の具合が悪くなるネガティブな経験とは裏腹に、とても心地のいい経験をさせてもらって、結果良ければすべて良しだなと。

ーーーーーーーーーーーーー

こちらの動画もぜひご視聴ください。