三人寄れば文殊の知恵

「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があります。特別な人ではなくても、三人集まれば良い知恵が浮かぶものだということですね。

有能な一人よりも普通の三人の方がいいという意味もあるかもしれません。いずれにせよ、一人よりも三人、三人よりももっと大勢のほうがさまざまな角度からいろいろな知恵を出し合うことができるわけですから、それだけいい結果が出せそうです。

このように私たちは部分を集めて全体にすることができると思っているのです。一つひとつは不完全でもそれを全部集めると完全になるという発想です。

しかしそれは真理ではありません。地球上の人間60億以上を全部集めても、何でこの宇宙があるのか明確に答えることもできないからです。

これは数の論理ではありませんね。地球上の犬や猫を全部集めても人間と同じ頭脳を持たせることは不可能なのと同じです。

不完全なものをどれだけ寄せ集めたところで完全にすることはできないということです。どんなテストも100点を採った実績があったとしても、1万回目には99点を採るかもしれません。

完全さというのは、そうした形ではあり得ないのです。全体とは部分と部分の合計ではないということです。これは全体ということの本質が分からない我々には本当には理解できないことかもしれません。

未熟な幼子が成長して依存から自立へと向かうことに意義があるとするのは、不完全な自分を完全な自分にしたいという願望があるからです。

でも不完全さは永久に完全な状態へと変化することはないのです。だから、完全さを求めるあまりに自己犠牲を払うくらいなら、それを求めるのをやめることが懸命です。

人間はどんなに努力しても神にはならないのですから。一つ方法があるとすると、元々自分は神と同じ完全な存在だと気付くことかもしれません。

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