「選ぶ」を再考する

私たち人間の毎日の生活というのは、ずっと何かを選び続けることで成り立っているとも言えます。

朝目が覚めて起きようか、それとももう少し寝ようかを選択します。朝食は目玉焼きにパンか、それとも納豆にご飯にするか。

自粛規制が緩和されたらどこへ行こうか、それともまだまだ自宅待機をし続けるのか。あらゆることが選ぶことによって進行していくのです。

どうせ選ぶのなら、悪よりも善、不快よりも快、つまらないものよりも素晴らしいもの、無価値のものよりも価値あるものを選択したいものです。

ところで何を選ぶにしても、選ぶ主体であるあなたは自我だということを忘れてはなりません。

より良いものを選ぶ方がいいに決まってるのですが、選ぶ主体であるあなたが自我であるなら、何を選んだところで変わりはないということです。

セラピストである私は、クライアントさんに防衛(自己犠牲)よりも無邪気さを選んで下さいと言うかもしれません。

それは間違いではないのですが、いつかは理解しなければならないこと、それは選ぶことで自我は力を維持できるという事実です。

このことに気付くことができたら、何を選ぶかということよりも選ぶことそれ自体が少なくなっていくかどうかを見守ることですね。

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