「安心」から「楽しむ」の人生へ

私たちの本質である全体性に戻った時には、どんな不安もなくなってしまうのですが、「私」という個人になった途端に不安がやってきます。

これは当たり前のことなので、よく理解しておいて欲しいのですが、個(人)と言うのは、世界から切り離された存在ということです。

自分の痛みや気持ちを本当にわかってくれる存在というのは、自分以外にはありません。なぜなら、他と分離してしまっているからです。

その上、この世界は次の瞬間何が起きてくるのかわからないのです。一寸先は闇というのが的を射た表現であることは間違いありません。

だから「私」には不安がついて回るということです。そしてこの不安の大きさには、個体による違いがありません。

ところが、育ててもらう環境と本人の気質によって、その不安を安心で隠して分からなくする度合いが違うのです。

もしも十分に愛されて、受け止められて、穏やかな気持ちで育っていく環境であれば、そこから安心が育っていくので、オリジナルの不安は隠されるのです。

その逆に、親の精神状態が悪くて、安心させてもらうことができずに育つなら、元々の不安はそのままに感じ続けることになるのです。

この違いは絶大で、成長過程で不安を隠してもらえた人は、自分を楽しませる人生を生きることができる一方で、不安を隠してもらえなかった人は、安心を求める人生を生きるようになるのです。

残念ながら、後者が圧倒的に多いのは周知の事実ですね。個としての不安というのは、どこまで行っても潜在しているのですが、実際に生きている感覚は異なるのですね。

もしもあなたが不安が大きいなという自覚があるなら、後者の分類だと思って間違いありません。

その場合には、まずオリジナルの不安は誰でも同じだけあるということを思い出してください。

そして、その不安を誤魔化さずにいて、逆に寄り添うように練習するのです。不安があって当然だということを深く理解するのです。

それによって安心しようとする防衛中心の生き方から離れて、自分を楽しむ人生へと変わっていくことができるのですね。

2 Replies to “「安心」から「楽しむ」の人生へ”

  1. 不安に寄り添うとは、具体的にどうすることですか?
    湧き上がる焦燥感や苦しい感情を受け止め倒したり、両手広げて感じ入ろうとしたりしていますがなかなか...
    もしかして寄り添うというのは、ただただ何もしないで通り過ぎるのを待つ、とか言う事…でもありますか?

  2. ただ通り過ぎるのを待つ、というのでもニュアンス的には近いと思います。要は、不安と戦わないということですので。いつかは、打ち寄せる波のように引いていってくれるということです。

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