共有幻想としての死

数日前に、高校生の時のクラスメートの一人が急死したという訃報メールが届きました。

それほど親しかったわけではないのですが、数年前のクラス会で会って取り止めのない会話を楽しんだばかりなので、ちょっとしたショックを感じたのです。

その後、クラスの仲間から様々な心情を訴えるメールがしばらくの間飛び交っていて、みんなそれぞれに少なからずショックを受けているんだなぁと。

その時に感じたことですが、死というのは本人のものではなくて残された側にとってのものでしかないのだろうということです。

私たちは誰もが未知の世界からやってきて、かりそめの人生を生きた後またその未知の世界へと戻っていくのです。ただそれだけなのです。

けれども、残された側からすると旅立っていった人とは、もはや触れ合えず語り合えずとなるため、死とは残酷なものだと思い込むのです。

実際亡くなった彼に起きていることは、私たちが知っているような死ではなく、ただの帰還なのだろうと思うのです。

私は昔から、死によって目覚めることができるのではないかと思っていました。人生物語から目覚めて、あ、こんな夢を見ていたんだ、チャンチャンっていう具合に。

我々はこの社会で様々な幻想をみんなで共有しているのですが、死もその一つに過ぎないのだろうなと、また思いを新たにしたのです。皆さんはどう感じますか?

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