以前から気が付いていたことではあるのですが、改めて深掘りしてみてよく分かったことがあります。
自分は、自分がイメージしているような1人の人間であると思い、そう信じ込んでしまったことに、一躍買っているのはこの身体の存在なのです。
生まれた時からずっと、自分の周辺に常にあり続けているこの身体の存在が、一人称でありながらも自分を見ることができると感じてしまったのです。
実際は、自分の腕は自分ではないので見ることができるのです。自分の足や胴体も自分そのものではないので、見ることができるのです。
そしてその身体とともに、これが自分だと思っているのですが、それは決して一人称ではなかったということです。
自分に近いところにある身体を自分だと思い込んでしまったがために、これが自分だという石頭的な信じ込みが定着してしまったのです。
たまに見かけるものですが、犬の首に装着するエリザベスカラーって知ってますか?犬が患部などを舐めてしまわないようにする、メガホンを広げたようなアレです。
アレを自分の首につけて生活してみたらどうなるでしょうか?つまりは、自分の身体が見えないようにして生活するのです。
もしかしたら、一人称である自分は見えないということをしっかり感じ取ることができるかもしれないですね。
正直、いつかチャンスがあったら実験してみようと思っています。だいぶ変人が本気で混じってきた気がします。