人生は誤魔化しの連続だと言われても、そんなことはない、生真面目にそして真剣に生きていると主張される方もいらっしゃるでしょうね。
確かにそれはそうなのですが、それでも誤魔化しや気晴らしの連続だということを、できるだけ理路整然と説明してみたいと思います。
誤魔化すとは、都合の悪いことから目を背けて、それがまるでないもののように扱うことです。
一方、気晴らしとはその都合の悪いことには気づいているものの、やはりそこから離れて何か別の楽しみの方に意識を向けることです。
いずれにしても、都合の悪いことから逃げようとしているのですが、その都合の悪いこととは何かというと、「不安と孤独」なのです。
自我が生まれると、必ずやその不安と孤独がやってくるのです。これは必然的なものなので、絶対に避けることができないのです。
なぜなら、自我というのはこの世界から分離した個としての「私」が存在するという思い込みのことなので、構造的に不安だし孤独であるしかないのです。
分離しているという思い込みによって、自分を守らねばという不安と恐怖が常に付きまとうことになるし、決定的に孤独でしかあり得ないのです。
それを家族や友人、恋人などとの絆によって、どうにかこうにか不安と孤独を感じないようにしているのです。それが誤魔化しでなくて何でしょうか?
人生がそれなりにうまくいっている時には、より誤魔化しながら生きていけるのですが、困難な状態になると誤魔化しが効かなくなって、その時に始めて元々あった不安と孤独に直面するのです。
どうせ持ち合わせているものであるなら、早いうちにそれを深く理解し、その原因となっている個(分離)という思い込みに気づくことです。
それが唯一の救いへの道なのですね。