正しさのバカバカしさを見る

私は、セッションやこのブログにおいて、日頃から「正しさ」ほどバカバカしいものはないので、ゴミ箱に捨ててしまえと言っているのです。

正しさとか正義というのは、その人にとっては大切なものかもしれませんが、他人にとっては全くその限りではないのです。

そして正しさや正義というものに寄りかかって、それを鎧のようにして生きることは長い目で見れば、非常に息苦しい人生になっていくことになるのです。

ある人から聞いた話しですが、今から数十年も前のことです。満員電車の中で、ぎゅうぎゅう詰にされたある女性が、駅で降りようとしています。

けれども、車両の真ん中にいたために、ドアのところまで進んでいくことができなくなってしまったのです。

それで彼女は必死に「おろしてください」、「おろしてください」と大声で訴えたのです。

そのときに、近くにいた男性が「おろしたいのなら、作るな」と言ったのです。これを聞いた乗客たちの多くは、ゲラゲラ笑ったのです。

そして、それまで殺伐としていた車内がほんの少し和んだおかげで、彼女は隙間から降りることができたというお話です。

その当時だから、笑える話だったのでしょうけれど、今であれば相当なセクハラだと言われても仕方のないことです。

きっと誰も笑うどころではないはず。たった数十年の時差しかないのに、これだけの違いが正しさに出てきてしまうということです。

正しさというのが、どれほどいい加減なものか分かるというものです。今日のあなたの正しさが明日はどうなるか分からないのですから、それに頼ることが如何にバカバカしいものなのかを見ることですね。