学生とか社会人が勉強をするのに努力は必要かもしれませんね。なぜなら、その時間をもっと楽しいことに費やしたいという欲望と戦わなければならないからです。
知識欲が旺盛な人は、勉強して知識が増えること自体が楽しくて仕方ないという有利な気質なので、それほどの努力はいらないかもしれませんが。
ただどれほど知識が増えたところで、新たな気づきがやってくることはありません。知識とは、そういう情報があることを知っていることに過ぎないからです。
一方で、弟子が本当の学びをしていくためには、努力も必要かもしれませんが、もっとも必要なものは勇気なのです。
そこに関しては癒しと似ているのです。弟子が学ぶときも、クライアントさんが癒しを進めていく時にも、両者に共通する事柄があるのです。
それは、自分が変容していくことへの覚悟が必要ということです。弟子の場合は、師から与えられた全く新しいワールドへ没入していくこと。
それがどれほど恐怖を伴うものだとしても、それを通過していくことでしか師のところに近づく方法がないからです。
癒しには師は必要ないのですが、それでも癒していった先にはこれまでの自分とは違う変容した自分が待っているのです。
これまで築いてきたものを手放す時、ずっとしがみついてきたものから離される時がやってくるのです。
そうした覚悟があればあるほど、早く癒しが進むことになるのですが、一般的には恐怖がそれにブレーキをかけるのですね。