強い思い込みのことを信念と呼ぶことができますが、結局はそれも思考の一つであることには違いありません。
ただちょっと思い込みが強すぎて、本人としてはそれが事実である、あるいは真実であるかのように錯覚してしまうのです。
当たり前すぎて、疑うことすらできなくなってしまうのですが、あくまでも思考が作ったものであり、実在もしないし正不正もありません。
癒しというのは、生後培ってきたあらゆるものを落としていく作業だというとき、その落とすべきものこそが信念などの思い込みなのです。
どうすれば落ちていくのか?実のところ、それを自分の意思で落としていく、あるいは手放していくということはできません。
なぜなら、落とそうとする努力、手放そうとする試みをすると言うこと自体が、それに価値があると思い込んでいるマインドの部分がある証拠だからです。
もしもそれが自分にとってはもう意味をなさない、あるいは取るに足らないくだらないことだと気づいたなら、その瞬間にあなたの手からひとりでに落ちていくのですから。
つまり信念や思い込みが落ちていくためには、それがゴミだったと気づくこと以外にはないのです。
ゴミだと分かれば、どんな努力もいらずにゴミ箱へ捨てることができますね。すべての信念はゴミだと気付くかどうか、そこが鍵なのです。