私たちは幼い頃に作られた自己イメージによって、人生が決められてしまうと言っても言い過ぎではないのです。そのくらい、自己イメージは強力なのです。
自己イメージが作られる過程をよくよく観察すれば、それがどれほど馬鹿げたものなのか分かるはずです。
それは、あなたの周囲にどんな人たちがいて、どのようにあなたを扱ったのかによって出来上がるからです。
したがって、素晴らしい自己イメージができたとしても、あるいはひどい自己イメージができたとしても、どちらもただのイメージに過ぎません。
主には家族という環境をそのまま写し込んだ自己イメージを、後生大事にしながら人生を進めていくのです。
ここでよく理解すべきことは、否定的な自己イメージであればあるほど、それを何とかして払拭しようとする為に、理想とする自分像が作られるのです。
言葉を変えれば、自分への期待が高くなるということです。自分に対して高い期待をかけるというと、何やらポジティブな感じがするかもしれません。
けれども、それはそのままの自分では到底ダメだということを意味するだけなのです。そして、そんな理想的な自分には決してなれません。
だからそんな人の人生は本当に悲惨なことになってしまいます。高い期待を設定して、そこに到達できない自分を責めて、そこから更にまた頑張ろうとする。
こんなことの繰り返しで人生が浪費されていくわけです。一度立ち止まって、自分の自己イメージをできる限り書き出してみることです。
さらには、期待している自分像についてもより明確に書き出すのです。その両方を高い精度で視覚化してみるのです。
どれほど不可能で、どれほど馬鹿馬鹿しくて、どれほど愚かしいことかを腹の底から味わうことができれば、そんな自己イメージも理想像も一緒にお払い箱になるはずです。