身体には健康なときもあれば、病気のときもある。見守ってごらん。ただ見守っていれば、突如として、あなたはまったく違った存在の質を感じ取るだろう。あなたは身体ではない。身体はもちろん病むが、あなたは病んではいない。
by osho
お腹が痛いときには、それを見守ることで、そこに腹痛が在るということに気づくことができます。見守る側と腹痛には関連するものが何もないという気づき。
そのときに見守る側には、人間としての自分とはまったく違った質を感じることができると言っているのです。
身体はあまりにも身近な存在ではあるけれど、当然のことですが身体が何かを見守ることなどできないのです。
身体が病気のときには、文字通り身体が病気なのであって、あなたが病気なのではないということ。見守ることに病はないのですから。
それじゃあ、マインドはどうでしょうか?見守る側が身体ではないのは明白ですが、マインドは見守ることができるはずだと思うのです。
だとすると、自分はマインドだということになりますね。けれども、マインドは思考を使わずに見守ることができません。
マインドは、必ず見たものを思考のフィルターを通して解釈、判断してしまうのですから。もしも、私たちがただ見守ることができるなら、そのときに初めてマインドとの隙間ができるのです。
ただ淡々と見守るとき、そのときにだけ身体でもマインドでもない自分の本質を感じることができるのですね。