日本語には「心」という便利な言葉があるのですが、その本来の意味するところは英語で言う「ハート」だったのでしょうね。
勿論今でも心をハートと訳すことができるのですが、現代ではもう一つの意味が追加されてしまったのです。
それが英語でいうところのマインドです。つまり、今では心というとハートのことでもあると同時に、マインドのことを指すこともあるので厄介です。
なぜなら、ハートとマインドとでは全く意味が異なるからですね。だから私は極力心という曖昧になってしまった言葉を使わないようにしています。
ハートというのは私たちが生まれながらに持っているもの、生まれ付きあなたについてくるものです。
一方でマインドというのは頭のことであって、それは生後親や社会があなたに取り付けたシステムなのです。
そのシステムは、立派な社会人として生きていくための必需品なのです。社会の会員になるための証明書のようなものです。
だからハートを優先して生きようとすれば、マインドに拒絶されてしまうかもしれないのです。
なぜなら、マインドは社会によって条件づけされ、調教訓練されたものだからです。あなたのこれまでの生き方は、ハート優位であったのか、それともマインド優位だったのか。
もしも後者であったとしたら、あなたのハートはきっと泣いているに違いありません。私たちの本性はハートだからです。
マインドが何と言おうと、それをそのままにしておいて、ハートの声に耳を澄ましつつ、それに従って生きるならきっと清々しい人生へと変化するでしょうね。
お久しぶりです。
ハートの声を聞くというのは、「なんか嫌だな」的な感覚を大切にするということでしょうか?
人に合わせる癖のある人は,相手の気持ちを優先してしまいがち。
しかし,所属感を失うことへの寂しさも、そこには影響していてなかなかハートの声に素直になれない自分を持て余しています。
相手の気持ちを優先するのもマインドだし、所属欲を満たそうとするのもマインドです。すべてが自己犠牲に繋がりますね。ハートの声は対処しようとするマインドに対して、あるがままであろうとするということですね。