自分のマインドをジーッと見つめていると、マインドがどんな状態であろうとも常に変わらぬ部分があることに気づきます。
それはマインドそのものではなくて、言ってみればマインドの背景のようなもの。あまりにも大きすぎて変化もしないので、本当に気づきにくいのです。
それに対してはどんなイメージも湧かないほど無色透明なので、これまでの人生のどの場面でも常にそれはあったはずなのに、気づけなかったのです。
それこそが自分の本質である意識なのですね。その上に無数の思考によって活動するマインドが乗っかっている感じ。
あまりにも思考の活動が忙しいので、そのバックにある背景を忘れてしまうのですね。けれども、心(マインド)の速度が緩やかになった時、その隙間から背景が見えるようになるのです。
それは音楽を聴きながら、音と音の狭間にある無音を感じるのに似ています。高校生の頃に、Led Zeppelin を聞いていて、爆音の曲の途中で無音が入る時があったのです。
その時、そのコントラストが心地よくて、あらゆる音の背景には無音(静寂)が常にあるんだなあと思ったことがありました。
いつでもどこでも、ほんの少しの時間があったなら、思考と思考の間に自分の本質を見つける練習をしてみることです。
そうして気がついた時には、もしかしたら瞑想が自分の不断の友達になっているかもしれませんね。
なるほど!
描かずに描く、という言い回しが絵の世界にもありますがビッチリ埋め尽くした画面より効果的に描かないスペースを残すことで描いてないのに描いたときより豊かな空間が広がることがあります。
ジャンルは違えど優れた表現には共通するものがあるもんですね
絵の場合の背景は二次元ですが、この世界の背景は三次元ですね。無色透明で大きさがない、特別な背景ですが、それをいつも意識していらると良いですね。瞑想から戻る時には、特にそれを忘れずに戻ってくるようにすると、観る側でいることが身についてくるように思います。