昨日の続きです。
①の生き方とは、自己犠牲の生き方である③から自己愛の生き方②を経由して、その先にある生き方であるというお話しをしました。
それは、自分のためにという私心を手放して、人のため、公のために生きるという生き方です。そして、ある意味とてもエゴイスティックな生き方でもあるともお伝えしました。
例えば、伝え聞いた話しなので真偽のほどは定かではないのですが、マザーテレサはまもなく死を迎える人たちに限られた薬をふんだんに与えたということです。
その薬を与えれば十分に命が助かるような人たちが他に沢山いたので、マザーに同行したシスターたちがそれを制止したのですが、彼女は頑として聞かなかったということです。
理性では考えられないことですが、彼女は目の前にいて死んでいこうとする人たちをそのままにしておくことができなかったのでしょうね。
そうしたエピソード以外でも、彼女自身、自分はやりたいことをやりたいように我がままにやっているだけだということを言っています。
①の生き方をしている人は、人の迷惑にならないようにということにあまり重きを置いていないのです。それは、自分が人からどう思われても構わないという心の状態であるからです。
だから恐れの少ない生き方であるということも言えますね。それは自分を守らない生き方であるとも言えるわけで、だからこそ心は満たされるのです。
しかし、①の生き方の人は、自分の身体を犠牲にするかもしれません。それでも、誰かを守るため、何かのために私心を手放して生きるので、心は充実することができるということです。
③→②→①という生き方の変化について、お話ししてきましたが、この推移というのはそれほどきっちりしたものではなくて、実際には③と②と①の間を行ったり来たりするかもしれません。
それでも、確実にいえることは、③よりも②、②よりも①の生き方がより満ち足りた人生を生きることになるということです。
では、①が究極の目標となるのでしょうか。それについては、また明日にこの続きを書くことにします。
つづく