もしも私たちが、うるさい思考を脇に追いやり、あるがままをできるだけそのままに受け入れることができるなら、不満という罠に陥らずに済むのです。
けれども、成長とともに、自分のことは自分で守らねばならないという自我の主張に飲み込まれるようになると、自我はひっきりなしに思考を使うようになるのです。
つまり、私たちは思考によって自分を防衛する作戦を編み出しては、それを実行するようになるのです。それが、不満を生み出すということです。
人間以外の動物は、単に生存本能による自己防衛をするだけなので、危機が去るとすぐに起きていることに順応することができます。
しかし、私たち人間は思考による過度の自己防衛に明け暮れているために、過去に防衛したがために生じた不満を現在にまで引きずってしまうのです。
思考とは過去なのです。多くの場合、過去の不満は心の奥深くに抑圧されて、本人には直接自覚することができなくなっています。
それは当然のごとく、形を変えて現在に影響を与えることになるのです。それは新たなる不満のネタがやってきて、本人を苦悩の渦の中に落としこみます。
そして、それと同時になんらかの依存症のような症状がやってくることがあります。勿論、それは不満を解消しようとする、抵抗することができない半強制的な言動となるのです。
多くの依存症、そして怒りがやまない不満の数々、こうしたことを人生から除去したいと誰もが思っているのですが、そのためには二つしか方法はありません。
一つは、冒頭に書いたように、過去から派生した思考をおとなしくする生き方を練習することです。これには、瞑想が役に立つかもしれません。
そしてもう一つは、抑圧されてしまっている過去の不満や怒りを、正面から見据えることです。人生の初期のころの不満をしっかり受け入れることができれば、それから派生した別の不満も、それを解消するための依存症も、ともに不要になっていくはずです。