この生の唯一の目的は、自分の本質に気づくこと。自我は実在しないと気づくこと。これに尽きると思っています。
そうした気づきを得るまでには、何層もの邪魔が入るのですが、それはこれまでに培ってきた知識や常識がブレーキとなるからです。
自我を自分と同一視してしまった人生しか知らないので、本当の自分などと言われたところで、何を戯けたことを言ってるんだと取り合おうとしないのです。
けれども、個人としての自分がいるという感覚は確かにあるけれど、どうもそれはおかしいなという感覚も感じてしまっている人もいるのです。
そういう人は、その疑いを大切にするのです。なぜなら、何かがおかしいということの原因を突き止めたいからですね。
自我は実在しない、つまり個人というのは存在しない。この世界、この宇宙であらゆることが起きているけれど、それは唯一の全体の仕業だということ。
だから個人として生きているつもりになっているあなたには、どんな責任もどんな罪も何もありはしないのです。
何も正しいものなどないし、何も間違いということもないのです。私たちを通して、全体がことを起こし続けているということ。
それが腑に落ちたら、これまで感じたことのない開放感を得られるはずです。全部全体にお任せでいいんだと。お任せする自分もいないのですけどね…。
このブログを読む3時間くらい前にいきなり「もしかして自分の意志ってゴミ箱に捨てられるんじゃねぇ?捨てた方がきっと爽快だし、良いも悪いも無くて起こることを起こることとして受け入れる自然な生き方になるよなぁ〜。意思であれこれ考えたり行動するのは結局同じこと繰り返して疲れるから捨てられるなら捨てたいなぁ〜。捨て方なんて知らんけど」って思いましたけど、そんな事思う自分がそもそもいないし、そこには捨てるような意思なんてものも初めから無いってことですね。
実感として理解するには何かの中に溶けてしまうのが近道かも知れませんねぇ
いや、そうですね。人間に自由意志はないということは、このブログでもかつて何度も書いた記憶があります。ちょっとした実験をすると、すぐにそれに気づくことができます。意思というのは、無からやってくるものです。自我がそれを受け取って、自分オリジナルのものだと考えるだけですね。