「目の前に、AさんとBさんがいる」という場合、実は根本的に異なる二つの世界感がそこには広がっているのです。
一つ目は、AさんとBさんと、それに私もそこにいるという世界です。勿論、これがごく当たり前の状況のように誰もが感じるはずです。
もっと詳しく表現すれば、自分という存在の外側に世界があって、その中にAさんとBさんがいて、私は私の内側からそれを目撃している、ということです。
私という存在は、この世界のある特定の領域(肉体)を占有して、その内側に入っているということが暗示されているということです。
そして、そのことはAさんとBさんについてもまったく同じことが言えるというように想定しているのです。結果として、三人の存在の仕方は対等であるということです。
この対等性から、個々の違いがあり得ないくらいに肥大して、それを比較して評価することが起こるために、人々は苦悩するのです。
一方で、二つ目の世界というのは、ただ単にAさんとBさんがいる世界が見えているということです。
そこでは、一つ目の世界のように、二人を見ている私という存在はないということです。ただ、二人を含む世界を見るということが起きているということです。
この「存在の非対称」ともいうべき世界感が広がっているときには、純粋な愛が起こる可能性があらわれますし、本当の分かち合い、本質的な意味での心を一つにするということが起きるのです。
この世界感にするためには、AさんとBさんを見ていながらも、その方向を反対に向けて、彼らを見ている場所を見ることによって簡単に起こすことができます。
そのときには、外側の世界を見ているという幻想も同時に消えて、実際にはあらゆる姿かたちをした世界という自己を見ていることだけが起こるのです。
本当の救いとは、こうした世界感、私が消えて、その代わりに世界を手にした時に起こるのでしょうね。
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