もしも今あなたの心が、時間の流れをゆったりを感じる余裕を持っていると感じるなら、次のようにしてみてください。
今していることを短い時間でいいですから中断するのです。歩いている人は立ち止まり、耳を澄ましてみるのです。
パソコンに向かっているなら、キーボードを叩く指を止めて、ディスプレイを見ている目を宙ぶらりんにさせるのです。
目も耳もあらゆる知覚はその機能を止めることはありませんが、それらからやってくる信号には注意を払わないで、今この瞬間に息を潜めるのです。
そうすると、鎮まりかえっているもっとも身近なものに気づくかもしれません。それこそが、本当の自己の姿です。
自分を客観視するのではなくて、敢えて言えば内側から直接それを体験するのです。それは対象物ではないからです。
完全なる一人称の本質に気づくと、それまで使って頼りにしていた知覚が、まやかしだったという気になってくるかもしれません。
知覚と思考によって捉えられるすべての現象が、鎮まりかえった私たちの本質によって支えられているということに気づきます。
知覚と思考をいくらフル稼働させて本質を隠そうとしても、誰もが例外なくいずれは本当のことに気づくことになるはずです。
それがいつになるのか、早いのか遅いのか、そんなこともただの思考のゲームに過ぎないことも明らかですね。
なぜなら、昨日の今も今日の今も、今この瞬間と一つものだからです。