「想像をはるかに超える」という言い方がありますが、思っていたのとは比べ物にならないくらいだということです。
私たちは、現実というのは自由にはならないものですが、想像であれば完全に自由だと思い込んでいます。
宝くじに当選する想像もできるし、憧れの人と結ばれる想像だってできるからですね。けれども、自分の本質についての想像はできません。
想像、イマジネーションをどれほど逞しく活用しても、それは不可能なことなのです。なぜなら、想像とは思考がベースにあるからです。
だから思考の届く範囲でしか想像することはできません。本質とは思考の外にあるものなので、決してそれを想像することはできないのです。
それよりも、心静かにしてマインドが緩んだ状態でやってくるものに耳を澄ましてみる方が、少しは本質に近づけるような気がします。
慣れてくると、それほど時間をかけなくても本質である無を感じることができるようになります。
このような練習を常日頃からやっていると、いざという時に非常に役に立ちます。何かに囚われたり、冷静ではいられない状態になったときに効果を発揮します。
そしていつでも自分の本質に近づくことができると分かれば、感情的な自分は外側だけだと気づいて、奥ではゆったりしていることができるのですね。
想像上では自分には無理。理屈も理由もちゃんとあって、何度考えても堂々巡りでやっぱり無理。
でも
実行してみたら想像とちがうことにもなるのかな?
予想される、こじれるであろうことは想像でしかなく。
幼い頃からあれこれと想像して危険を回避してきたから、
これは自分を守ってくれるアイテムだと思っていたはずが、むしろ足かせでもあったのでしょうか。
そう思ったら
いったん想像は脇に置いて
まっすぐ進めるようになるのかな。。。
想像にはきっと二種類あって、一つは現実逃避的な目的。欲しいものが手に入って喜んでいる自分を想像して楽しむわけです。そしてもう一つが危険回避するためのもの。どちらも思考であることに違いはありませんが、どうせなら防衛よりも楽しめる想像の方をお勧めしますね。
いずれにしても思考の産物。
だったら、おすすめの方を使いたいと思いますが、もしかして
よく、おっしゃっている、どちらでもないというのは、ここでもあてはまり、
本質はどちらでもない。
ということなのですね。
ありがとうございます。