この年齢になって初めて、MRI の検査を受けてきました。そもそもどんな検査なのかは、それなりに色々聞いてはいたので、少々緊張気味で…。
何やら狭い空間に閉じ込められるだとか、やたらとうるさい騒音に悩まされるだとか、長い時間じっとしていないといけない等々。
あまりいいウワサを聞いてなかったものだから、しかも造影剤を血管に入れられての検査だったりするので、ネガティブな予想ばかり。
技師の人の話では、少しでも動くと映像がダメになってしまうとかで、えいやっ!という掛け声をかけてまで、腰の部分をキツく拘束されたのです。
その上、深呼吸するだけで微妙に動いてしまうので、深呼吸はやめて下さいとのこと。どうしろっていうの…。
じっとしていることと騒音は大丈夫だったのですが、呼吸が辛かったですね。それをなんとか耐えながらもしばらくした時のことです。
あれ、いつものあの瞑想の時にやってくる、セロトニンとβエンドルフィンの分泌ドバッがやってきてくれて、救われました。
突如としてゆったりした別世界気分。やっぱり普段の瞑想は役に立つのです。欲を言えば、もう少し早めに分泌して欲しかったけど。
でもかなり緊張していたので仕方ないのかもしれません。日頃から地道に瞑想に馴染んでおくことで、こんなご利益があるとは思っても見ませんでした。
もしかすると、死に直面するときでも瞑想は意識的でい続けるために役に立つのかもしれないですね。
立ち入った事ですが、MRIの検査を受けたのは、どこか体調がお悪いのですか?
先日のブログにも、死を意識されたような事が書かれていて気になりました。
体調が悪いということはないのですが、医者の勧めで受けることにしました。この年齢になると、色々と検査をしておいた方がいいのでしょうね。ご心配をおかけしてすみませんでした。
そうですか。
それなら安心しました。
でもその安心とは、大澤さんの身を案じてというよりも、自分がまだまだ癒やしの途中なのでブログやセッションがなくなってしまったらどうなってしまうかな…と、自分の為に気になったにすぎず。
他人を案じるその実は自分のため、これが自我の愛、ということですね。