瞑想の時の気持ちよさが止まらない。どのように表現すればいいのか迷うのだけれど、そしてこの正体とは一体なんなのだろうか?
最初は性的な快感と関連があるのかもしれないと思っていたのですが、どうもそれが中心にあるのではないということは気が付いたのです。
でもその先がまったく分からない。けれども、osho が、瞑想中に何が起ころうとも、それは牛の糞だ!!と言っていたのを思い出し、それを知っていてよかったと思ったのです。
これって、クリスチャンだったらイエスの姿が見えてしまうのかもしれないし、敬虔な信者だったらまばゆい光に照らされる経験をすることになったかもしれません。
それは、本人のマインドが決めることなのです。そして、どんな体験をしようと、それは体験をするエゴ本人がそこにいるということになるのですから。
自分なりに見つめてみると、もしかしたら幼いころの無邪気で無防備なあの感覚に近いのかもしれないと思うのです。長い間抑圧されて隠されていたそれが、瞑想によって表面化したのではないかと…。
だとしたら嬉しいことです。そしてそれは、とても精妙なものでもあるのです。何気なく呼吸するのではなく、できるだけ静かに、そうっと呼吸をするだけでその感覚はやってきます。
敢えて言えば、静かな恍惚感なのかもしれません。静かではあるのですが、本人としては場合によっては呻くこともあるような、かなりしっかりした恍惚感なのです。
ただし、自分がそれをコントロールすることができないので、とても不安定なものなのです。それがやってくることを期待しても、期待通りには行かないし。
本来の瞑想からはかけ離れているという感覚もあるので、しばらくは静観していようと思っています。それ以外には何もできないし。
なによりも気づけたのは、外側よりも内側が大切なのだということ。内側は、宇宙よりも無限に広大だということです。それだけは間違いないことですね。