ゆったりと寛いで思考の働きを徐々に緩めていくと、ただ在るということだけになっていきます。それは精神的な活動が激しいと、すぐに隠されてしまう精妙なものなのです。
急いでいたり、この場を何とかしなければならないと考えていたり、何かに集中していたり、そうしたあらゆる精神活動が邪魔をするのです。
街の喧騒の中では、小さな鈴の音がかき消されてしまうのに似ています。けれども、誰であってもそれを感じることはできるのです。
なぜなら、その静かな気づき、ただ在るというこの感覚は、すべての人に共通のものに違いないからです。
ただ在るという気づき、何かが在るというのではなくて、これ以上シンプルにはなりようのない、ただ在るということ。
そしてその気づき自体が私たちの本質なのですね。何かに気づいている私がいるのではなく、その気づき自身であるということです。
今日一日がどんな日であったとしても、一日のどこかで必ずこのことに意識を向けることを忘れないことです。
個人としての自分は、どうしても目の前の現実に飲み込まれてしまうようにできています。だからこそ、敢えてこの気づき自身である自己を観るようにするのです。
その純粋な気づきへの100%の信頼があれば、どんな物語であってもそれを心から楽しむ余裕ができるはずです。