どうせ寿命が尽きるまで生きるのでしたら、辛い人生よりも楽しい人生の方がいいに決まっていますね。楽しい人生と聞いて、どんなイメージが浮かんでくるでしょうか?
自分の身の周りに楽しいことがいっぱいやってきて、自分を楽しませてくれるというのもあるでしょうし、自分から人生を楽しむために積極的に行動するというのもあるでしょうね。
けれども、楽しい人生というのはそれだけではありません。自分そのものを楽しむということで、楽しい人生を生きるということもあるのです。
自分を楽しむというのは、どういうことでしょうか?それは、自分の人生に起きたことを楽しむというよりも、起きたことに自分がどう反応しているのかということを楽しむということなのです。
自分という一人の人物は、毎日毎日起きる事象に対して、様々な反応をし続けているわけですが、その反応がどんなものであったとしても、それを思い切り面白がるということです。
私たちは、映画やテレビ番組で、愉快で楽しい物語ばかりを観るわけではないですね。とても悲惨で苦しい物語や、場合によっては身の毛もよだつホラー映画を観て楽しみます。
なぜ、悲しんだり怖がったりすることを楽しめるのでしょうか?それは勿論、自分という人物が安全にその物語を観ているということを知っているからです。
それと同じように、自分の人生を一つの長編物語ととらえることができるなら、自分の本質は決して傷つくことがないということに信頼を置けるなら、人物としての自分のどんな反応にも面白がることができるのです。
その視点に立つと、一つの人生を生きている人物としての自分のことを、お笑いのネタとして見ることさえできるようになるかもしれません。
大泣きしても、激怒しても、絶望しても、恐怖のあまり何もできなくなったとしても、それはすべてお笑いのネタとして使えるようなものだと気づくことができるのです。
あなたは、自分が生きてきたどの場面の自分に対しても、お笑いのネタとして笑ってあげることができるでしょうか?もっとも滑稽なのは、これ以上ないというくらいに深刻な表情をしている自分を思い出すときです。
あるいは、被害者面して周りに文句を言い続けている自分の姿はとにかく笑えますね。幼いころの自分は、本当に微笑ましくて笑ってしまうのです。
自分を笑うというのは、決して軽蔑や見下しではなくて、愛そのものだと思うのです。自分を笑ってあげることで、自分を楽しむ、自分のことを面白がる人生を生きることができるのです。