あなたが「私は他の誰でもない、自分でいよう。どんな犠牲を払おうと、私は自分自身でいるのだ」と決めたまさにその瞬間に、あなたは大いなる変化を目にするだろう。あなたは活力を感じる。エネルギーがあなたの中を流れ、脈打つのを感じるだろう。
by osho
もしもあなたが死に行くときに、人生を十二分に生きて来なかったと感じたとしたら、それは当然次の人生に期待をするはずですね。
そしてその期待する思考エネルギーが実際に次の人生へと向かっていくのですが、それが輪廻というものです。
逆に言えば、十全に生きたと感じたなら、そのときにはもうどんな期待をすることもなくなってしまうので、次の人生へと向かわなくなるのです。
では、どうしたら充分に生きたと思うことができるのかと言うと、それは他の誰かになろうとせずにいられればいいということです。
あるがままの自分、自分自身のままでいることができるなら、そのときには充分に自分を使ったという満足感がやってくるのです。
不完全な自分を完全なものへと近づかそうとしたり、より良い自分になるために改善しようとしてみたり、理想の自分を描いてそれを目標としてみたり。
そういうことのすべてが、あなたのオリジナルを縛り付けて無き者にしてしまったりするのです。その不満が未来への期待を生み続けるのです。
今この瞬間の自分以外はないということに深く気づくことができれば、向かって行くべきどんな目標もないと分かれば、マインドは戦いをやめていくのです。
明日はないと気づくとき、恐怖から逃げるために無意識的になるか、あるいはそこから逃げずにいて意識的になるかのどちらかなのでしょうね。
あるがままの自分を、自分で隠してきた習慣のため、やり方?がなかなか身につかないのです。
本当にさまざまな
自分でいる、の方法を教えて頂いてきたのに。
直後は、わかった、やってみる出来そう。。。と思うのですが、
そんなことしたらどうなるか、わかってるんでしょうね?のおどしからはじまり、あ、いいよ、やりたきゃやれば?の突き放し。
ほうら、やっぱできるわけないじゃん、の否定感。
そしてそれが自分、と無理やり納得。
こどもの頃に味わった一連の流れに戻され。
(自分も我が子に似たような事言ってるし)
結局
なにもしなければ傷つく事はないから、何もしない。という
いつもの行動パターン。
いっそ
それでもいいんだよ、と。
それがあるがままの自分と
いったん受けとめたらいいのでしょうか?
幼い頃の恐怖心とともに、自己防衛の回路が出来上がってしまい、それがいつまでも機能し続けるということですね。だから、そう簡単には変わらないのです。
大切なことは、そういうマインドの働きをよく理解してあげて、その働きぶりを見続けてあげること。そこに意識を向けてあげていれば、いずれは防衛回路の働きは小さくなっていくはずです。すぐに効果を期待するのではなく、地道な練習が必要なのですね。