私たちがこの世界に生まれてきた時には、誰もが自然の一部だったのです。だから自然と調和していたとも言えます。
ところが、しばらくするうちに次第にマインドの発達とともに、不自然さに向かって進んでいってしまうのです。ハートだけは、ずっと自然のままにあるのですが。
そして気がつくと、不自然であることにも全く気づくことができないくらい、マインドは自然から乖離してしまうようになるのです。
この状態こそが、私たちが内側のどこかにずっと感じている、不安や孤独といった苦悩の原因なのです。
大自然の中にいると、塞ぎ込んでいた気持ちが急に柔らかくなって、穏やかな感覚に包まれたりするのは、私たちが自然に回帰したがっている証拠なのです。
自然の中に戻りたいというよりは、自分自身が自然の一部だということに気づきたいのでしょうね。
そのためには、毎日の自分の生き方をよくよく観察してみて、どこが不自然なのかを発見することです。
すると、マインドの働きの全てが不自然さで出来ていると分かります。本能的な防衛は自然の一部ですが、心理的な防衛は不自然さの極みです。
戦いから遠のいて防衛を小さくなるようにして、代わりにハートを目一杯開いて生きることです。
強くなろうとせずに、感じやすく、傷つきやすい状態でいること。自然に近づこうとするのではなく、ただ在るがままであればいいのですね。
感じやすく傷つきやすいのがありのままなら、それでいいと言ってもらえるのは、いちいち些細なことでうじうじしている私には、本当にありがたい言葉です。自分が持ち合わせてもいないのに、強さを演じるのは、やっぱりしんどいことです。
鮫は鮫の、なめくじはなめくじの、自然の姿で、みんな生きているんですものね。
ありのままでいいのではなくて、ありのままが最高ということですね。大人が子供に対して言う言葉で、「怖がり、弱虫、泣き虫、寂しがり屋、痛がり…」などがありますが、こういったものは全て感じやすさを表しているだけで、決して否定されるようなものではないということですね。ところが、大人たちに否定の気持ちを込めて言われてしまうので、子供たちは萎縮して自己否定をしてしまうのです。そこから強くなろう、が始まって、せっかく自然に生きていたものが不自然な生き方へと変わっていってしまうということです。
「」の中は、みんな自分にあてはまる性質ですが、癒しって、ありのままでいいと言いつつ、いつかそんな部分が消えていってくれて生き易くなることだと、どこかで期待していたんだな、と気がつきました。頭も、心さえも、社会の枠に、まだいるのでしょう…。
ありのままが最高って、うれしいです。