真実のレベルから見れば、どんな言葉でそれを表現しようとしたところで、すべてが方便になってし
まうのです。
けれども、言葉を使わなければ伝えようとするきっかけも作れないということになってしまうのです
。だから、やはり言葉は大切なのですね。
明らかに、言葉による理解、つまり知的理解は単なるきっかけに過ぎないのですが、それがなければ
深い理解へと進むことも難しいのです。
だからまずは言葉による知的理解からスタートするわけです。結局、方便は方便と知りつつどうして
も必要なものなのですね。
そしてその理解をより深く深く内側へと浸透させていく中で、徐々に直感的な理解がやってきてくれ
るのです。
それこそが「気づき」なのですね。真の気づきには、疑う余地が残ってないのです。それは全身全霊
で知るということだからです。
それを通してのみ真実に触れることができるということ。その瞬間、こうした方便の塊のようなブロ
グは、消えてなくなってしまう運命にあるのです。