「張本人」という不自然さ

自分のプロセスを見守ってごらん。

そうすれば、感じられるだろう。

今日、お腹が空いたら、ただ見守ることだ。

お腹を空かせた人がほんとうにいるのか、

それとも空腹があるだけなのか?

by osho

思考の中で、「私」というエゴが発生してから、それがずっと延々やってきたこと、それはあらゆる体験、経験に対して、それは「私」が体験した張本人だと思うこと。

その思い込みを続けることで、エゴは毎日ますます自分自身を肥大化させてきたのです。こんなに多くのことを経験してきた自分は、幼子とは違うと。でも待って下さい。

上の osho の言葉をゆっくりと読み返してみて、できる限り正直になって無垢な気持ちで検証してみることです。本当にそれを体験している張本人の「私」がいるのか?

それともそこに、ただ体験が在るだけなのか?これまで培ってきた常識をすべて誠実に脇へ置いて、どちらがより自然なことかを観てみるのです。

大いなる自然の中で、お腹を空かせた「私」が本当にいるのか?それとも、ただそこに空腹感があるだけなのか?

独り静かにそれを見つめてみると、前者の方が何か特別な感じがするのです。その特別感が自然から遠ざかっているように感じるのです。そこには、何となく力みがあるような…。

そして残念?なことに、ただそこに空腹感が在るということの方が、やはり自然と調和していることに気づかされます。

自然の摂理の中で、唯一不自然なのは「張本人」というもの。自然はそんなものなしに、ただ淡々と在り続けているだけなのですから。

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