カラクリはいつか消失する

私たちはいつもカラクリを知りたがるのです。人間はなぜ生まれてくるのか?人生にはどんな目的があって、それにはどんな価値があるのか?

そもそも宇宙のカラクリはどうなっているのか?解明したくて、謎解きをしたくてウズウズしているのです。カラクリが分かったときのあの爽快感がたまらないのです。

それを探究心と呼ぶこともあるし、好奇心と言うこともありますね。とにかく知りたがり屋なのです。幼い頃は、きっとどんな子供でもその傾向が分かりやすく出ていたはずです。

けれども大人になっていくにつれて、日々の生活の中に没入することで、次第に謎解きに興味を失っていく人が多いのも事実です。そんな人でも、年老いてこれといった目標や生き甲斐などがなくなると、突然思い出すのです。

なんで生きてるんだろうって…。その一方で、生活の奥に隠しながらも、密かに継続してこの壮大な宇宙や自分という存在のカラクリを探究したいと思ってきた人もいるでしょう。

私はどちらかというと後者の部類だと思います。そして今は自分のそういう気質に感謝するようにすらなっています。というのも、年齢を重ねてから突然カラクリが気になり出しても、手遅れになるケースが多いと感じるからです。

最後の方で、宇宙のカラクリよりもそれを解明しようとする探究者を探究するというフェーズに来れたからです。そして最後の最後では、探究そのものが落ちることで、探究者そのものが落ちていく…。

カラクリそのものも消失していくということですね。

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