キーワードは「惨めさ」

数年前に、自分の人生のパターンとなる大元の体験について捜しているときに、そのコツを発見することができました。

それは、「惨めさ」だったのです。誰にでもあるその体験のことを、私は原体験と呼ぶことにしているのですが、その特徴を一言で表わすなら、「惨め」な体験なのです。

勿論原体験ですから、それはとても幼い頃にまで遡らなければなりません。もしかしたら、思い出すことが難しい場合もあるかもしれません。

けれども、私の感覚では記憶のないような幼児のころというよりも、それよりもほんの少し大きくなった頃のはずなので、意外に普通に覚えている可能性が高いのです。

ただし、その体験を思い出したとしても、それが人生のパターンの根源になるようなものだとは、なかなか思えないようなものなのです。

つまり、その場面を思い出しても、大したものでもなく、特別意味もないような感じで見てしまうということです。

なぜなら、それは大人の自分にとっては何でもない場面であるからです。しかし、その当時の幼い自分にとっては、とても大きなインパクトがあるものなのです。

それが「惨め」な体験というわけです。「惨めさ」というのは、怒りとか悲しみというような単一の感情ではなく、それらがミックスされたものです。

例えて言えば、自分の存続が危ぶまれるような感覚であり、尚且つ物理的な危うさではなくて精神的なダメージを伴うものだということです。

突き詰めてしまえば、それは恐怖であるわけですが、けれども「惨めな体験」という切り口で捜すことで、より見付けやすくなるのです。

そして、なぜそれがパターン化されてしまうかといえば、その惨めさを感じることがとても辛いために、それを隠し続けて生きてきてしまうからです。

その結果、その惨めさを本人に知らしめるために、それ以降の人生のあらゆる場面に似たような惨めさを味わわざるを得ない経験をしてしまうということです。

惨めな体験をしたくないなら、その自分の中に隠し持っている過去の惨めさをただただ見てあげることです。

それを繰り返すことで、惨めさを恐れることがなくなってきます。惨めさと闘う必要がなくなったとき、それはもうパターンではなくなるのです。

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