マインドの罠を見抜く

私たちのマインドの原動力は愛だと思われているかもしれませんが、実際にはその逆です。なぜなら、マインドには愛が分からないのですから。

マインドの原動力になるのは、困難、苦しみ、痛み、混乱、戦い、こういったものばかりです。ちょっと信じられないかもしれませんね。

けれども、マインドの生い立ち、マインドの原理、マインドの仕組みなどを深く見ることができると、残念ながらそうしたことを認めざるを得なくなるのです。

マインドは何らかの問題を見つけてはそれに対処しようとすることで、自らの存続が可能になると考えているのです。

勿論それは最も深いところに隠し持っているので、簡単に自覚することはできないようになっています。

私たちが自覚しやすいのは、自分は幸せになりたいと願って生きているのに、なかなかそうはならないという不思議です。

勿論一過性の喜び、一時的な幸福感を感じることはありますが、それも長続きはせずに、次なるものを求めることになるのです。

本当は、幸福になって満ち足りてしまったら、マインドの原動力が失われてしまうというのが隠された理由だったということです。

自分のマインドの本性は、満ち足りることを恐れているという受け入れがたい真実を真正面から見つめること。

マインドを熟知すること以外に、その罠から抜け出す方法はありません。満ち足りるという現象は、マインドの外に立つときに初めてやってくるのです。

3 Replies to “マインドの罠を見抜く”

  1. 以前から病気だった父が、ここ2週間の間に、どんどん悪化しています。
    私達姉妹が仲が悪いのが、最後の心残りのようで、今日私がお見舞いに行くと、遺言のように、仲良くしていくようにと言われていたら、歯ぎしりが起こりました。
    お互いに嫉妬し、出し抜き、親の関心を取り合うに、そして、けんかしないように、付き合ってきて、もう私は無理だったから、会わないでいたのに。最後まで、わかってくれないんだね。反発まではしなかったけど、耳障りの良いセリフは言いませんでした。罪悪感なんか怖くない、と心の中で言いました。
    父も、きっと、自分の気持ちをわかってもらえない育ち方をしたのだろうと、分析し、お腹がぎゅーとなりながらも、別の視点を使って、ただこの場面を観る、ということができ、マインドの外に出ているのか、わからないけど、痛手は小さくて済みそうです。
    Oshoの言葉を読んだりして、父の死を迎える準備をしています。わかってくれないけど、やっぱり大好きだったです。
    誰のマインドの罠にも、はまらず、ただハートだけで、お別れを感じたいです。

  2. お父さんのマインドと自分のマインドの両方を見ていることができたということですね。それこそが意識ですし、お別れを感じられるハートでもあるのでしょう。素晴らしいことですね!

    こういうときにこそ、癒しの真価が見えてくるものです。

  3. ありがとうございます。以前の私だったら、頭がぐちゃぐちゃになって、自分を痛めつけたと思います。
    死生感も、ずいぶん変わりました。

    父のエネルギーが、新しい命にふきこまれたら、その子が、仲良しの両親にたくさん甘えられますように、と祈っています。

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